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2011.10.09

Riskを知って安全を期す      

酷暑の夏が過ぎ、さわやかな秋になりました。皆様いかがお過ごしでしょうか。久しぶりのColumnです。

先ずは事務所が移転いたしましたことをお知らせいたします。今度の事務所も神楽坂です。神楽坂は雰囲気もよく、飲み食いには最適の場所で、他の場所に移ることには抵抗がありました。本当に良い街ですので是非お越しください。

東日本大震災からはや7ヶ月経とうとしていますが、人類史上最大級の事故となってしまった福島第一原発事故の収束にはまだ時間が掛かりそうです。原子力発電という巨大技術を制御し切れなかった現実には心塞がる思いがあります。

地震発生後の事故の進展の詳細は未だ分かりませんが、今回の事故自体の様相は想定外でも何でもなく、起こり得る事象として捉えられていました。今回の事故の主な原因が想像を超える津波であったことは疑いもありません。しかし、全電源喪失に対しても緊急炉心冷却系の一部は機能するような仕組みであったと覚えています。多重に備えられた安全系がうまく働かなかった理由を是非知りたいと心から思います。

原子力発電所に関しては、長年に亘りかなり詳細なRisk Studyが行われていて、万一の事故に関してかなり深い考察が行われていました。但しその結果に関しては専門外の人々に広く知られたいたわけではありません。むしろ不安を誘うという理由で積極的には公開されて来なかったように感じています。

Risk Engineeringにおいては絶対に安全であるという立場は存在しません。むしろ危険を知ることによって安全を確保することを目的としています。原子力発電所のRiskもより多くの人々が知っていたら事故の大きさもその危機管理も少しは変わったかもしれません。「安心安全」ではなく、「Riskを意識して安全を目指す」姿勢が必要だったと思います。

今回の事故に際しては、事故後の対応については大いに疑問を感じます。炉心溶融が起きれば、放射能放出が避けられないことは分かっていたはずです。周辺住民の避難は当然の対応ですが、急ぐ必要は無いもののなるべく遠くに避難すべきものでした。汚染地域では放射性物質の生物濃縮が発生することも周知の事実です。一次産業の継続は当然困難なことなのです。避難家族の皆さんに対して、なるべく早く帰宅を実現するといった対応は信じられません。現在行われている汚染地域に関する対応は本当に正しいものなのでしょうか。現在どのようなRiskが存在しているのかをはっきりと公開し、論議すべきだと思います。

2011.04.14


東日本大震災に際しまして

東日本大震災の発生から早くも一ヶ月たちました。犠牲者の方々には深く哀悼の意を捧げます。また、現在も不自由な生活を強いられている方々に対しまして心よりお見舞い申し上げます。

今回の地震は、可能性のあるすべての地震源を対象としている地震危険度解析においても想像さえし得なかった大規模なものでした。それに続く福島第一原子力発電所の事故には愕然とするばかりです。私がRiskを扱うようになった最初の仕事が原子力発電所の地震危険度評価であったこともあり、今回の事故の進展を注意深く見守ってまいりましたが、対応が困難を極めるものであることが手に取るように想像できます。サイトで対応されている皆様に感謝の意を表します。あなた方のご努力が今後の日本を救う唯一の方策です。

今回の地震災害に接しまして、耐震に関わっている者として大きな無力感を持つ一方で、Risk Managementの重要性を再認識しております。災害や事故に対する事後対応を危機管理と呼びますが、災害や事故がどのように進展してゆくかを予測する仕事はRisk Managementの担当です。適切なRisk Managementは適切な危機管理に繋がります。

現在の危機管理対応に関しまして、様々な批判がなされていますが、一つだけ申し上げたいことがあります。危機管理においては、既に発生し、進展していく災害や事故の拡大を防ぎ、今後の損害を低減させることを目的としています。従って、現状に

おける被害について、その原因や責任を追及する段階には至っていません。災害や事故が発生した以上、最終的に損害が出ることは避けられません。危機対応の良し悪しは最終的被害が以下に低減されたかという点にあります。しかし、その低減量を知ることは困難です。すべてが収束した後、対応が適切であったかという点についてはいろいろ論議されるでしょうが、後になってから言える事はいくらでもあります。

Risk Managementや危機管理は常に負け試合を戦うことなので、残念ながら積極的な評価を得られることは有りません。しかし、その重要性はご理解いただけるものと思います。今回のような過去に経験のない巨大な災害に関しても、想像力を逞しくし、起こり得る事態を網羅して可能性を意識しておくことが大切です。常に申しているように、安心したら安全はありません。

今回の原子力発電所の事故に関しまして、私の20年以上前の知識でしかないのですが、簡単な説明資料を作りましたので、ご覧ください。トップページから開きます


2011.01.20

随分遅くなってしまいましたが、

明けましておめでとう御座います。本年もよろしくお願いいたします。 

年明け早々、不景気な話ばかりで恐縮ですが、相変わらず仕事が少なくて困っております。まあ、世の中が不況なので、事故・災害Riskまで手が回らないでしょうから仕方が無いかもしれません。実際、経営Riskのほうが遥かに大問題です。当方で昨年後半から企画しておりますLecture Courseも参加者が集まらない状況なので、しばらくお休みして内容の充実を図る予定です。Lecture Courseではお伝えしたいことがたくさんあるのですが、自分で資料を作っていても、内容が発散気味なのでもう少し整理してからと思っております。再開時には皆様よろしくお願いいたします。

ところで、Risk Managementの基本は効率なのですが、効率というのは利益と不利益の比であると考えています。一般に費用対効果といわれますが、正しくは効果対費用です。そんなことはどうでも良いのですが、利益は効果、不利益が費用に相当するものです。利益をどのように考えるか、不利益は費用だけなのかといったところが問題になります。Risk Managementにおいては不確定な不利益を定量化することが重要ですが、利益についても良く考えることが必要です。Riskのみを考えていては的確なManagementはできません。どんなことにも良いところと悪いところがあると考えることが基本です。

会社に様々な商品の勧誘電話がかかってくるのですが、そんな時Meritばかり言われるとDemeritは何かと質問したくなります。この質問にうまく答えてくれる人とはなかなかお目にかかれません。

いずれにしても、良いこと尽くめのことなどは期待できませんよね。但し、Technologyの進歩に基づく改良が行われた商品はMeritが大きい場合が多いように思われます。Computerの進歩を見ると、Hard WareSoft Wareも年々性能が向上し、その上価格が下がっています。まさに奇跡的だと思います。あとはWet Ware(使う人)の問題だけです。この進歩をもたらしているのが人間の頭脳であるという点がすばらしいと思います。理系離れといわれて久しいこのごろですが、この奇跡に寄与する人々が増えることを年頭の希望としたいと思います。

2010.07.01

皆様お久しぶりです。Columnの更新を半年間もサボってしまいました。申し訳ありません。このところ仕事が無くて、どうしようかといろいろ悩んでいたのですが、半年間の雌伏の時にも決別する決心が着きました。仕事が無いのは特に不景気のせいだとは思ってはいません。要はRisk Managementに関する需要が少ないためであると考えます。そこで、これからは市場開拓に傾注するとい一大決心を致しました。私自身はRisk Managementの方法がとても役立つと信じていますので、それを多くの方にお伝えしたいと思います。具体的には専門的な技術者以外も対象とした様々なLecture Courseを開設いたします。9月開始を目途に準備を進めています。先ずは、基礎編のさわりの部分をここに掲載いたします。

I「意思決定」

意思決定という言葉を聞くと、とても難しいことのように思えます。しかし、誰でもいつでも意思決定を行っています。意思決定とはどうするか決めることでしかありません。昼食に何を食べるかとか、今日は傘を持っていくかとか、考えて決めることは多いはずです。習慣的な行動を除けば常に意思決定が行われています。意思決定においては通常、好ましい点と好ましくない点の双方を考えて、そのバランスで行動を採用するかどうか決められています。昼食に関しては味や雰囲気と値段や混み具合を考えたりしませんか?良く行く店についてはこうした属性を知っているので意思決定は結構簡単です。初めて行く店の場合には情報を集めることから始めるでしょう。最近ではInternetがとても便利です。その上で行動の選択が行われるでしょう。そうやって選択したにもかかわらず、必ずしも満足の行く結果となるとは限りません。その原因は集めた情報の不確定性にあると考えることが出来ます。味の評価には個人差があり、値段が間違っている場合もあります。降水確率を調べて傘を持参したのに、雨は降らず邪魔な荷物でしかなかったという経験もあるでしょう。

 Risk Managementとは基本的に不確定な情報を意思決定に組み入れる方法論です。より良い意思決定のために役立つ方法です。また、複数の人たちの集団が意思決定を行うときに共通認識を持つことが可能となる方法です。私たちが生活していく上で避けられない意思決定をより明確に行うために是非Risk managementの方法を理解していただきたいと思います。

・・・

Lecture Courseの準備が整いましたらご連絡いたします。是非ご参加くださいますようお願いいたします。

2010年、新年明けましておめでとうございます。本年もよろしくお願いいたします。

(2010.01.16)

残念ながら終りが見えない不況のままに新年を迎えましたが、皆様お元気でしょうか。
さて、不景気の影響で日本国の税収もかなり減少し、新政権も苦労しているようです。昨年の「事業仕分け」は大きな話題となりました。様々な事業が無駄だとか、不用だとかという理由で、棚上げすべきものと分類されたように報道されました。しかし、伝えられている様に多くの事業が無駄なものだったのでしょうか。世界の一流国の政府が行おうとする事業がそんな状況であったとしたら悲しい限りです。
日本では、認められるものは善で、そうでないものは悪であるという感覚が存在しているように感じます。ですから事業仕分けでも何らかの過ちを見つけて修正や廃止としているように感じられるのではないでしょうか。Mass Communication の報道もそのような流れで、面白おかしく見せていたように思います。結構楽しめました。
しかし、事業仕分けは善悪を問うものではなく、税金をどう使うべきかを考えること、即ち公共事業のManagementに他ならないのです。採用される事業も、そうでないものも、それぞれ意味があるものであるはずです。しかし、予算が限られていれば何もかも採用は出来ない。そこで仕分けが行われるわけです。採用されなかったとしても、それは悪ではなく、現在の財政状況では即座に実施できないと言うことにすぎないのだと思います。
選別の基準は基本的には効率、即ち効果と費用の比率であるべきなのですが、費用はさておき、効果は必ずしも客観的なものではないので、それをどう見積もるかがとても難しい。そこで有識者(仕分け人)に考えてもらおうとなる訳です。しかし、提案者と仕分け人は共通の価値観を持つとは限らないので、ちぐはぐな論戦になってしまうのでは無いでしょうか。
Risk Managementも事業仕分けと同じように、効率的なRisk低減策の策定と実施を目指すものです。従って、複数の低減策案についてその費用と効果を推定し、最も合理的な選定します。MEDでは効果を主観量と捉えて扱っています。従って、同じ施設のRiskへの対応でも、社会環境や、その所有者の価値観に基づいて異なる結果となる場合があります。「正しい唯一の答えなど存在しない」というのが私の心情です。
次回の事業仕分けでは、説明者、仕分け人、報道関係者の全ての皆様に、効率に基づいた冷静な論議を期待しています。
ところで、日本では善悪のような二極分類が好まれます。これは、単にその方が分かり易いという理由だけではなく、○×式の入試制度の悪影響があるのではないのかと、私は常々思っているのですがいかがでしょうか。今年もセンター試験が行われています。

MEDは10周年を迎えました                          (2009.11.09)

 皆様のご支援のお陰を持ちまして、MEDは満10年を迎えることが出来ました。 華々しく記念Partyでも開きたいところなのですが、多額の累積赤字を抱える身としては残念ながら諦めざるを得ません。
10年前、後先も考えず始めた会社ですので、ある意味、よく10年持ったものだと思います。 Risk Managementという考え方をもっと知ってもらいたいという希望をもって働いてまいりましたが、10年間でどんな成果は上がったのかと考え込んでしまう今日この頃です。
この10年、自然災害としては数回の被害地震や台風被害がありました。また、食品偽装事件や農薬入り餃子事件などが起こりました。 そのような状況でリスクという言葉が随分身近になってきているのは事実です。 不動産の価値項目として地震Risk特性値(PML)が取り入れられたり、企業の資産評価に様々なRisk項目が参照されたりするようになって来ています。 しかし、今のところはRiskの評価に留まっているように見えます。 Risk ManagementのためにはRisk定量化は必須なのですが、そこに留まることなく、Riskを効率的に減らす努力が重要なのです。 10年前と比べて地震リスクは減っているでしょうか? どんなに詳細で高度なRisk評価計算をしても、対策に生かされなければ何の意味もありません。 不祥事の謝罪会見の方法を考えることが危機管理だと面白おかしく報道される現状では、Risk ManagementもCrisis Managementも根付いているとは言い難いと思います。
私は、不確定な将来に対処する方法としてのRisk Management手法の有用性を心から信じています。ですから、できるだけ多くの方々にお伝えしたいと思うのです。 しかし、私自身の力不足のためになかなかうまく行かなかったというのが実情です。この10年間の反省をもとに、心機一転、これからは業務の方向を少し変えようかと思います。 どのように変えるかはまたの機会に致しますが。今後とも皆様のご支援を頂きたく存じます。どうぞよろしくお願いいたします。

ごみの分別はEcoに役立つ?                          (2009.09.29)

 東京23区では昨年からごみの分別方法が変わりました。その主な変更はPlasticsを燃えるごみに分類することができる点です。 理由は、ごみ焼却炉が性能向上してより高温で焼却できるようになり、Plasticsを燃やしてもOxidant(オキシダント)の発生を抑えることができるためです。 熱を有効に利用できれば環境にも良いはずです。 余談ですが、Oxidantといえば、何年か前までは随分危険視されて、大騒ぎでしたが、最近ではさほど毒性が高くないと考えられるようになってきているようです。
 それはともかく、ごみの分別には結構細かい決まりが有って、出来る限り資源として再利用しようという姿勢が感じられます。 いざごみ出しとなると、分類の根拠が示されていないこともあり、ちょっと汚れているPlasticsとか、不用になったコピー紙とか、Vinyl(ビニル)とか、 どう分類すべきか迷うこともしばしばです。まあ、それでもゴミ箱を何種類も用意して何とか分類していますが、 苦労して分類された資源ごみは回収後どのような処理をされているのかが良く分かりません。本当にEcoに貢献できているのでしょうか?
 一般にRecycle Costは高く、紙やPet Bottleなどはごみからの再生費用が新品の作成費用の数倍になるようです。 費用が高いということはそれなりにEnergyを消費しているでしょうから、再生品は新品より環境負荷が大きいこととなります。 もちろん原料である木材や石油の消費は減りますが、環境に対する影響が全体として小さいとは言い切れません。 現在のようなごみのRecycleが環境問題の解決策になると単純に信じることは出来ません。
 環境負荷が減るようなRecycle の方法を考えることが重要です。一つの方法は、不用品をごみとして収集して再生するのではなく、出来る限り使い続けることです。 衣類は古着として、新聞紙は包装紙として、壊れた電化製品は修理して、Pet Bottleは容器として・・・。一昔前ならあたりまえであった節約の暮らしです。 しかし、この方法が広範に行われるようになれば消費が減少して、生産活動も低下します。従って経済は活性化せず、低迷傾向となるでしょう。 Ecological な生活は本質的に活発な経済活動とは馴染まないものなのでしょう。
 経済活動を阻害しないEcologicalな唯一の方法は、効率の改善です。同じ性能の製品をより少ない環境負荷で作ること、いわゆる省エネ技術です。 単に消費電力や燃費を言うのではなく、前にも少し触れましたが、製造から廃棄までのトータルでの環境負荷を減らす方法の開発が重要です。 環境負荷に連動した製品価格設定がなされれば、我々消費者も簡単にEcologyに対する配慮が出来ることとなるでしょう。
 ごみについては、なるべくごみを出さない生活を心がけましょう。難しいことですが、先ずは食べ物を残さずに食べることかな。

嘘ではないけど不誠実                          (2009.05.13)

またしても長らく更新をサボってしまいました。申し訳ありません。
 青臭い言葉ですが、私は「誠実さ」を大切にしています。ここ数年間、虚偽の広告に関する取締りが厳しくなり、あからさまな嘘は減ってきているようです。 とても良い事だと思うのですが、健康食品や美容器具などのTVCMを見ていると、成分の有用性や仕組みの利点などを説明した後に、 利用者の声として、商品が如何に有益であったかを語る映像へとつながります。なるほど良く効きそうだと感じてしまいます。 しかし、画面の片隅には「使用者の感想であり、効能を示すものではありません」という表示が出ています。 すなわち、その商品の効能については証明されていないのです。この表示のおかげで虚偽の広告にならないのでしょう。
 コラーゲンやヒアルロン酸が重要な物質であり、この商品にはそれらが含まれている(事実)。 それを使用したら体調が改善した(個人的な感想)。さて、どうゆうことなのでしょうか、「嘘をつかなければ許されるのか」と疑問に思います。 CMは聴視者にその商品を宣伝するものですから、制作者の意図は明らかです。嘘ではなくても不誠実な姿勢だと感じます。こうしたCMは私にとっては逆効果ですね。
 ところで、この間、年金定期便とういものが郵送されてきました。そこにはこれまでの年金納付額と、将来受け取れる年金額が明記されています。 年金額が少ないのには驚きましたが、納付額と比較すると結構得をしている気分になります。 しかし、よく見てみると、厚生年金の納付額は、私が納入した金額で、会社が分担した部分が算入されていませんでした。 すなわち、納入額は本来の金額の半分だけ記載されていたのです。私の場合、平均寿命を全うしても年金は本当の払い込み額に満たないものでした。 嘘ではないけど不誠実な定期便です。随分姑息なことをするものだと驚きました。
 Risk Management では不確定な情報を取り扱いますから、その気になれば、嘘をつくことなく、特定の結論を誘導するような表現をすることも可能です。 しかし、それは絶対にしてはいけないことです。誠実さを大切にしましょう。

2009年 明けましておめでとうございます。                       (2009.01.19)

暗い話題ばかりで明けた本年ですが、今年も宜しくお願いいたします。

本年最初の話題は、期待値(平均値)にしたいと思います。
 不動産業界が低迷するにつれ、Due Diligence (不動産価値の適正な評価)業務が激減しているようです。 そのなかでは良く地震PML(Probable Maximum Loss)と呼ばれる値が参照されていました。 私自身はPML評価に関して否定的であるため、その業務が無くなっても構わないのですが、信頼性関連という意味では、PML評価はここ数年、結構大きな市場でした。
 被害予測には様々な不確定性が伴うので、確定的な値を評価することができません。 そこで、確率的な予測を行うのですが、確率的な予測では非常に大きな被害の可能性も否定はしません。 地震PML評価では、確率(可能性)の小さい大被害を参照します。 もちろんこの値自体は間違いではないのでしょうが、PMLはかなり極端な値なのです。その意味をしっかり理解していないと、判断材料としては良質なものとは言えません。 特に地震以外の他の被害形態と考え合わせる際などは不適切な指標となります。ばらつきを持つ評価結果の解釈は実際かなり難しいものなのです。
 では、PML以外の指標として、どのような指標が良いのかというと、最も基本的な情報として、誰でも知っている期待値(平均値)が挙げられます。 期待値だけではばらつきの情報が足りませんが、それでも表現力は膨大です。成人男女の身長の関係を考えるとき、先ず比較するのは平均身長です。 最も身長の高い者同士の比較にはあまり意味はありません。日本と米国の国民の収入を比較するとしたら、やはり平均収入でしょう。 金持ち同士を比較することは面白いのですが、面白いだけで、両国の国民収入の比較には役立ちません。期待値は雄弁な指標です。期待値を知った上でばらつきを考慮すべきなのです。
 しかし、人は極端な値に興味を持ちます。TVなどMass Communicationは基本的に極端な事例を取上げます。 現在の不況の象徴として解雇された派遣労働者の話題が良く取上げられています。しかし、彼らを救えたとしても景気が回復するわけではありません。 極端な例だけを見ていても全体像は髣髴とはしません。不況の深刻さは解雇される労働者の数より、労働者の平均所得により明確に現れます。 私たちは報道される事例について、それが極端なものであることを忘れてはならないでしょう。
 不況になると宝くじが良く売れると聞いています。宝くじは当選すると数億円と宣伝されますが、その期待値は半額にも満たないものであることは意識しなければいけません。 買うなといっているわけではありませんが、数億円手に入る可能性は非現実的なくらい低いのです。 ところで、当選金の大きさばかり強調して期待値を表明しない宝くじの宣伝は虚偽の宣伝に当たらないのでしょうかね。

価値をどう測るか                                   (2008.10.27)

またまた更新が大幅に遅れてしまいました。お恥ずかしい限りです。

最近、証券相場の急落で世界恐慌の再来となるのではという不安が広がっています。世界恐慌がどのようなものであったか、それがどのように第二次世界大戦へ繋がったのかは勉強不足で良くは知らないのですが、とにかく大変なことです。
相場や株価というのは、結局はその金融商品の価値を量的に示した指標であると考えられます。色々な人の思惑が交錯した結果として、その値が決まる仕組みになっているわけです。そこに関わるすべての人が恐慌を避けたいと思えば、相場を立て直すことが出来るのではないかと思うのですが、考えが甘いのでしょうか。
それはともかく、Risk評価においても価値をどのように定量化するかという点は大きな問題です。価値は個人個人によって違うものです。価値を測るのはとても難しい作業です。しかし、人は買い物をするときに無意識にそれを行っています。自分にとって買い物の対象が高ければ買わないわけです。購入金額がそのものの価値ということが出来ます。では、既に持っているものの価値はどうでしょうか。幾らなら売るかという考え方もあります。しかし、買い手の付きそうも無いものも多いはずです。そういう時は、もしそれが無くなったらどれくらい困るかということを考えます。古いけど大事にしていた自転車を失うとしたらどのくらい困るか。新しい自転車を購入し、残念さを癒すために幾ら掛かりそうかと考えれば、それなりに価値を定量化することが出来ます。
当社の専門である、事故・災害Risk Managementを対象とした場合には損失の大きさを考える必要があります。例えば、地震で家が崩壊したら損失はいくらか、とか、火事で工場が全焼したらその損害はどのくらい大きいかといった問題です。この問題については私たちからもいろいろなadviceは行いますが、結局はその当事者が決定しなくてはいけません。損失の大きさは当事者ごとに異なるものですから、それに基づいて決定される対応は誰にでも当てはまるものではありません。Risk Managementは主体者ごとに違ったものとなります。結構複雑です。とはいえ、損失の大きさを冷静に考えること自体がRiskを意識するという点で、実は大きなRisk低減に繋がるのも事実です。
物の価値を真剣に考えることが、適切な行動の選択のHintになると思うのですが如何でしょうか。

環境負荷を減らすには・・・                                (2008.06.05)

このところ環境問題が注目され続けています。昔はそれ程重要視されていなかったような気がします。 とはいえ、私が大学生だった30年以上も前から意識はされていて、ごみ処理の問題とかeco-balance(エコバランス)とか授業で扱われていました。 一般に言われている環境問題では、人間の活動が地球環境に大規模に影響する点を対象としています。 実際、それが地球の環境変化にどの程度寄与しているのかは判然とはしないのですが、人口が増え、工業化が進めば影響が大きくなるのは当然の帰着かもしれません。 しかし、手をこまねいているわけにも行きません。なるべく環境に対する影響(環境負荷)を減らす努力が望まれます。
ところで、環境負荷をどう測るのかとなると必ずしも簡単ではありません。先ずはそこから考える必要があります。 最近は環境に優しい商品と銘打つものも増えています。本当に環境負荷が小さいのか疑問に思うものもあります。
Risk management(リスクマネジメント)においてはcost(コスト)解析を行うことがあります。costを初期cost、運転cost、廃棄costに分類してその和をtotal costと考えます。 riskは主に運転costに含まれます。初期costが高くても、運転costが低ければ良い商品となり得ることが表現できます。 この場合は主に金銭を単位として考えるのですが、環境負荷に関しても同じような考え方が出来ると思います。 製造における環境負荷、運転に関わる環境負荷、そして廃棄に関わる環境負荷を考えるべきでしょう。
一般に省エネ商品と呼ばれるものは、燃費が良いとか、消費電力が少ないなど、運転負荷は小さいようです。 しかし、製造や廃棄に関する負荷についての情報はほとんど得られません。ですから本当に環境負荷が小さい商品かどうかわかりません。 頻繁に使わない商品なら、運転負荷が大きくても必ずしも悪いとは言えません。 先にも述べましたが、温暖化gasや廃熱などを除いて環境負荷をどのように評価すべきか、未だ判然としない部分が多いということもあって、全体的な環境負荷を表現するに至っていないというのが現状のようです。
環境負荷を減らすための完全な方法はできるだけ消費しないことです。とは言っても、これまで享受して来た利便性を放棄するほど人類はstoicにはなれないでしょう。 むしろ人類文明の発展は利便性の追及を原動力としてきたと言っても良いと思います。しかし、人類存続のための環境を守ることは重大です。 なかなか良い解決策は見つかっていませんが、未だ時間は残されています。冷静に、なるべく無駄な環境負荷を避け、解決策を捜す努力が必要です。

カタカナは止めませんか                                  (2008.03.26)

日本人は外来語が好きだと言われています。最近の流行はサプリやリサイクル、フィットネス、私の専門もリスクマネジメント。カタカナばかりです。 日本人の外来語好きは今に始まったものではなくて、平安時代以前から漢語を使うのが教養の証明だったと言うことです。
日本固有の言葉をもっと使いましょう、という運動があるようですが、私は、外来語自体はちっとも悪いことだとは思いません。 外来語には日本語とは違った意味合いや概念があるような気がします。日本語では表現しきれない何かがあると感じます。「ソース」と「たれ」はちょっと違いますよね。
日本語の特徴の一つはどんな外来語でも取り込めるという点です。インクルーシヴですばらしい言語だと思います。私が問題と感じているのは、外来語をカタカナで書くという点なのです。 カタカナで書いてしまうと、その外来語は日本語になってしまいます。そのために結構面倒が生まれます。 私が米国で住んでいたアパートはAmsterdam Avenueという通りに面していたのですが、初めてタクシーでその名を告げたとき、運転手には全く通じませんでした。 要は、私が日本語でアムステルダムと発音していたためです。皆さんも似たような体験をされていると思います。マクドナルドも有名ですよね。 このようなカタカナ英語の弊害は良く知られているのですが、何の対策も採られていないのが現状です。
話は少し変わるのですが、ワープロを使ってカタカナを書くとき、不自由さを感じることが良くあります。 「なめ」とか「ほめぱげ」とか打ってしまうことはありませんか? もちろんnameやhomepageと打っているのです。 そこで提案なのですが、外来語はなるべく原語で書くようにするというのは如何でしょうか。まあ、縦書きの場合や、アラビア語を書くときには面倒が生まれますけど・・・。
原語を使う場面が増えれば、日本人の外国語に対する苦手意識も減るかも知れません。欧米人には通じないデジタルとう言葉もなくなるでしょう。 Digitalぐらいはちゃんと発音できなきゃいけませんよね。デズニーランドと言っていると笑われる世の中なのですから。

新年明けましておめでとうございます。                            (2008.01.22)

 また一年たってしまいました。一年がどんどん短くなって行くような気がします。 ところで、一年の長さは、太陽と地球の位置関係から定まるものなので、地球の公転速度や自転周期が変わらない限りある意味で安定したものです。 一年を短く感じたり長く感じたりするのはあくまでも主観的な問題ですよね。
 私が利用するリスク定量化手法では、損失の大きさと、その発生の可能性に注目しています。 損失の発生の可能性は確率を利用して表現するのですが、損失の大きさは絶対的なものではなくて、本来、その所有者に依存した主観的な量として扱うべきであると考えています。 例えば、地震で家が壊れてしまったときの損失はどのくらいの大きさかということを考えます。一般的には失った家を建て直すこと(現状復帰)に必要な金額が損失だとされています。 しかし、家を失った寂しさはそれだけで癒されるとは限りません。その家に対する思いは人によって異なるものでしょう。 大事な記憶が一緒に失われてしまうことがとても悲しく感じる人もいるでしょう。ですから、同じ家でもそれに対する思いによって損失の大きさは異なります。従ってリスクの大きさも異なったものになります。
 主観的な大きさを数値にするのはとても難しいことですが、リスクを考える上では結構重要なポイントの一つです。 また、リスクは人によって大きさが異なるものとなるわけですから、リスク対策も個人個人によって異なったものになって当然です。このことは何も個人に限られたことではありません。 企業においても被害の対象となる施設の重要性は簡単に計算することは出来ません。リスクマネジメントにおいては、それがどのくらい重要なものであるかをリスクの主体者が十分に考えることが必要です。
 損失が主観的な量であるとするならば、リスクも主観的な量です。従って誰にでも当てはまる普遍的なリスク対策はありません。また、被害に対して、あまりにも悲観的に考えるとリスクは増大することが分かります。 壊れたとしても大した事では無いと考えられれば、リスクを減らすことが出来ます。被害を極端に恐れることは得策では無いような気がします。地震を恐れすぎてはいませんか?
 怪我や病気を恐れるあまり、生きることが苦痛になるとしたら本末転倒です。

モラルハザード                                       (2007.11.01)

 モラルハザードと言う言葉を耳にすることが多くなりました。私の専門とする事故・災害リスクでも、地震ハザードとか、台風ハザード等と同じようにモラルハザードを考えることがあります。 モラルハザードはヒューマンアクション(例えばテロなどのサボタージュや思い違いといった人間の行動)に関わるもので、その扱いはかなり難しく、定量化は困難を極めています。
 さて、モラルハザードと言う言葉は結構誤用されていることが多いようです。 本来モラルハザードとは、倫理観の欠如から生じる危険を意味するのではなく、制度や安全機構が整うことによって、危険に対する認識が甘くなることによる危険を言う専門用語です。 モラルと言うと日本では倫理と言う訳語が連想されますが、モラルには教訓や規範といった意味もあるようです。そんなわけでよく耳にする利用法は必ずしも正確ではありません。 前に一度このコラムで「安心・安全」という掛け声は好きではないと書きましたが、それは、この目標がモラルハザードを増加させるためなのです。
 用語の問題は別として、最近の食品会社の不正行為や耐震偽装問題、スポーツ界のごたごたなど、モラル(倫理)の欠如としかいえない事例が目立っています。 自己の利益の追求のために、他者に不利益を強いることは許されません。何人かの評論家は遵法精神の欠如であると指摘していますが、私は順法精神だけの問題とは思いません。 遵法という意識は、逆に、見つからなければ罰せられない、また、罪を償えば許されるといった考え方につながるような気がします。法の定めが無ければ何をしても許されることになります。 遵法に留まらない倫理観が大切です。
 その人のモラルは他人の眼のないところでの行動で示されるといわれています。いつ何時でも自分は正しい人間でありたいとは思います。 しかし、これはこれで困難極まりないことで、たぶん息が詰まってしまうでしょう。たまに羽目を外すことは大目に見てもらえる世の中です。 せめて、自分の専門分野に関しては倫理観を持ちたいものです。
 エンジニアリングで対象とする多くの問題は不確定な要因を含んでいます。ですから正しい、正しくないと割り切ることができません。 どのように扱うべきかはっきりと分からない場合がほとんどです。 そんな時には単純化を行い、また、仮定を利用せざるを得ないのですが、たまに悪魔のささやきが聞こえてきて、クライアントに喜ばれる結論につながるような選択に魅力を感じることも無きにしも非ずです。 しかし、それは大きな間違いです。たとえ法の定めが無くても、我々は誇りを持って、自分のモラルを大切にすべきであると思っています。

気圧は天気のバロメータ!?                                 (2007.10.09)

 気圧が下がり始めると天候が悪化し、上がりだすと回復する。気圧を見ることで天気予報が可能となる。気圧は全く便利な情報です。 しかし、そもそもバロメータと言うのは気圧計のことですから、この表現はいけません。 それはさておき、簡単に知ることができる特定の情報が他の重要な情報の予測に利用できるとしたら、こんな便利なことはありません。
 情報同士がもつ関連を表現する方法の一つとして相関係数というものがあります。相関係数は一方の情報の示す値と他方の情報の値の比例関係を数値化するもので、−1から+1の数値となります。 相関係数0と言うのは両者に比例関係がない場合です。1となるときは完全に比例する場合。−1は反比例かというとそうではありません。−1となるのは一方が小さいと他方が大きい場合です。 相関係数とは二つの情報の大きさを両軸にグラフを書いたときの傾きに対応したものです。(ただし、傾きそのものではありません。詳しくは参考書をご覧下さい)
 バロメータとなりえる情報には、必要な情報と比較的大きな相関があることが必要です。相関係数で0.7くらいあればかなり良いバロメータとなります。 例えば身長は体重のバロメータといえます。しかし、やせている人も太っている人もいるので、身長だけで体重を完全に推定することは出来ません。 相関係数が+1(または−1)でない限り、完全な推定は出来ません。言い換えると、その場合不確定性が存在していることになります。 バロメータは便利ですが完全でない場合が多いので注意が必要です。気圧計だけで天候を完全に予測することは出来ません。
 また、相関係数はほとんどの場合、データの統計解析によって評価されます。少ないデータや、特殊な場合を含んだデータに基づいて評価すると実際とは異なった結果となることがあります。 バロメータと考えられているものにも首を傾げたくなるものも無いわけではありません。本来バロメータは因果関係を検討して用いるべきものだと思います。
 体脂肪率は健康のバロメータと言われますが、体脂肪率が高いからといって、絶対に不健康とは限らない・・・。などと言い訳に使うのはいけませんよね。

コラーゲン、血液さらさら、マイナスイオン                           (2007.8.14)

聞いただけでも元気になりそうなこれらの言葉は、つい最近まで結構はやっていましたね。いまでは少し下火になったようですが、共通しているのはどれも健康関連商品の宣伝に使われている点です。
 コラーゲンは動物の体内に多量に存在するたんぱく質の一種です。従って人間にとっても大変重要な物質です。 これを補給できれば良い事が有りそうですが、食べたり塗ったりしても(厳密には有用な形で)体内に直接取り入れることが出来ません。 たんぱく質は食べたら消化されてアミノ酸に分解され吸収されます。そこからまたコラーゲンが再合成される保証はありません。皮膚は大きな分子を透過することが出来ません。 だからと言って、吸収できるようにばらばらに切り刻まれたコラーゲンは元々のコラーゲンに期待されている効果を失ってしまいます。 コラーゲン食品や化粧品について全く効果が無いとは言い切れませんが、それが直接体内に取り込まれるという点では科学的に証明されてはいないのです。
 血液さらさら問題は、血流が滞る映像を見せて、危機意識をあおるものでした。 血流の滞留については赤血球の変形性能が本質的な問題となっているわけで、それ以外の大概の場合は水分補給で解決できるようです。 何といっても血液の90%は水ですから。血流と中性脂肪やコレステロールの問題とは無関係です。赤血球が体内を循環できなければ、体の末端部は至るところで壊死してしまいます。 一見健康なのにそんな状態の人はまず居ないでしょう。
 マイナスイオンに至っては、言葉の定義すら曖昧で、その効果について科学的な根拠は何もありません。 物質名が示されることもありませんし、だいたい、空気中に負の荷電粒子ばかりが存在したらどうなってしまうのでしょうか。
 このような健康関連の曖昧な情報が氾濫した責任の多くの部分はTVに代表されるマスコミにあるのではないでしょうか。 高校程度の科学の知識があれば首をかしげるような内容でも、TVから流れるとつい信じてしまう場合が良くあります。表現の自由と誤報とは大きな差が有ります。 特定の番組だけの問題ではないでしょう。聴視者ももっと意識を高める必要があります。
 信頼性の基本的な態度は様々な可能性を考慮することです。だからといって何でも認めると言うのではなく、疑うべきものは疑わなければなりません。 健康問題は今や国民の大関心事です。しっかり学んで正しい対応をしましょう。

地震は増えている?                                      (2007.7.23)

またしても被害地震が起きてしまいました。気象庁マグニチュード6.8、驚くほど大規模の地震では無いのですが、結構な被害が生じました。 日本ではこの規模の地震は数年に一度起きています。その被害は発生場所や震源深さに依存するため、必ずしも大きな被害が生じる訳ではありません。 そのためもあってか、最近までは、感覚的にはこのクラスの地震はそれ程の危機感をもって捉えられていなかったと思います。 現時点で適切な設計をされた構造物はこのクラスの地震で大きな被害は生じないと信じていますが、老朽化した木造建築は危険だと思います。 また、液状化危険度の高い地点も注意する必要があるでしょう。とりあえず危機意識は持たなければなりません。 とはいえ、近所でこのクラスの地震が起きる可能性は小さいのですから過剰反応するもの問題です。結局、可能性が小さい危険にどのように対処すべきかと言うことが問題です。 あまり費用を掛けずに耐震性を改善する工夫が重要です。まずは家具を留めましょう。

今回の地震で柏崎・刈羽原子力発電所が被害を受けたことは、私自身にとってもショックでした。 私は10年ほど前までは原子力発電所の地震リスク評価に関わっていたのですが、 そこで利用される確率論的なアプローチでは設計条件をはるかに超える大きな地震動も考慮して安全性を検討します。 地震リスク評価では原子炉安全性に大きく関わる要因のひとつが電源であることが指摘されているため、今回の変電施設の火災を聞いたときは一瞬恐怖を感じました。 原子炉の安全性は多重防護という、何重にも安全装置を配備する方法で守られているので、そこまで心配することはないのですが、この程度の地震で・・・、という思いは残ります。

さて、最近、地震に関する報道は多少誇張的であるような気がします。被害を受けた映像ばかりが放映され、そうでない場所の映像はほとんどありません。 地震による被害の実態を知るには、無被害であった情報も重要です。また、毎回のように大きな地震動が記録されたと伝えられます。 実際、地震動は大きくなっているのか、と言うと、そんなことは無いと確信しています。というのも、近年、地震記録計の性能が向上し、また、その数が飛躍的に増えているからです。 最大加速度は計器の性能が上がれば大きくなります。また、観測記録数が増えれば最大値が大きくなるのは当然です。 たとえば、百人の人間を集めたときの最大の体重は、十人を集めた時の最大の体重よりも大きくなるのと一緒です。 地震が増えているとか、地震動が大きくなっているといった情報に惑わされることは避けたいですね。冷静に効果的な対策を考えて行きたいと思います。

Survey Says                                          (2007.4.27)

20年ほど前アメリカに暮らしていたときに、Survey Saysと言う名前の人気クイズ番組がありました。 これは、日本の「100人に聞きました」とまったく同じ内容なのですが、それはともかく、100人のサンプル調査の結果を回答者が当てるものです。随分楽しみました。
ところで、サンプル調査は、世の中全体(母集団)の性格や傾向を推定するために行うもので、結構難しい調査です。 「サンプルは無作為抽出しなければならない」、「サンプルは十分な量が必要である」、とされています。 クイズ番組ではこの2点をあまり重視していなかったようですが、本来のサンプル調査では非常に重要な要求事項です。
テレビの視聴率調査はいくつかの組織が行っています。どれも、せいぜい数百のサンプルを利用しているようで、安定した結果は得られません。 数パーセントの視聴率を調べるためには最低でも5000くらいのサンプルが必要です。
マスメディアによる選挙の事前調査では80〜90パーセントくらいの投票率になりますが、実際にはそんなことにはなりません。 投票しますかと聞かれたら、そのつもりだと答えるのが普通なのです。同じように、選挙では出口調査の結果と実際は合致しません。 聞かれた人は正直に答える必要は無いのです。人間を対象としたサンプル調査は、たとえたくさんの人に聞いても不正確なことが多いようです。 質問の仕方によっても結果が変わります。どうすればより正確な調査が出来るか、とても難しい課題です。
現在、国会で憲法改正のために国民投票に関する方法が審議されています。 どうも、投票者の過半数の賛成で改正が成立するということになりそうなのですが、これは問題ではないかと思います。興味の無い人は投票に行きません。 興味がないということは、現状で問題ないと感じている場合が多いと思われます。国民の半数の賛成と、投票者の半数の賛成は随分違ったものだと思います。 出来るだけ多くの人の意見を反映させる方法を考える必要があるでしょう。せめて最低投票率の制限をつけるべきでしょう。
母集団の性格を検討する場合はサンプルサイズに応じたばらつきを考慮します。さらに、全数調査と言う方法をとる場合もあります。 サンプル調査の結果を利用する場合は慎重に考えなければいけないのです。
そういえば、話は違いますが、参院選のときの最高裁判事の不信任投票を信任投票に変えたら、大変な結果になるような気がしませんか?

安全とリスク                                          (2007.3.19)

飛行機事故とか交通事故、湯沸かし器の不完全燃焼など、最近事故が多いですよね。でも、本当のところ事故率は上がってはいないようです。マスコミの取り上げ方が変わったような気がします。安全・安心がテーマの世の中のせいでしょう。安全を求めることはもちろん大事なことだと思います。
ところで、安全とは何かと聞かれても答えることは難しいですね。本当に安全なものには、安全が意識されることはありません。何らかの事故や被害が起きて初めて安全が意識されるようです。ですから本当に安全なものは安全だとは言ってもらえないのです。
このようになかなか意味が分からない安全をどのように測るかについて、私は、どのくらい危険かという指標を用いるべきだと思っています。まあ、それがリスクなんですけど・・・。この湯沸かし器はこれまでに何台が何年間使われて事故が何件あったという表現が安全に関する情報となります。本当に安全なものの場合は事故件数が0となるでしょう。このような表現は合理的だと思うのですが、何か危険を宣伝しているように取られてしまって、あまり評判が良くありません。
私が最初にリスク関連の業務とであったのは、25年前、原子力発電所のリスク評価でした。その時は「確率論的リスク評価」という名称でした。その後、リスクというのは響きがよくないから、「確率論的安全評価」にしましょうと言うことになって、今ではその名前で使われています。まあ、安全を測るためにリスクを評価するのですから間違いではありません。
しかし、私は個人個人がもっとリスクを意識すべきだと思っています。事故や災害は完全になくなることは無いでしょう。事故が起きたらその責任追及ばかりでなく、「そういう事故もあるから注意しましょう」という呼びかけも大切なのです。リスクを意識することでより安全な社会が実現すると思います。ですから、安全・安心というスローガンはあまり好きではありません。
私の好きな交通標語は「青信号良く見て渡ろう右左」

新年明けましておめでとうございます。本年も宜しくお願いいたします。      (2007.1.9)

このコラム、あまりにも更新が遅くて、お恥ずかしい次第です。実際はいくつか下書きまでは出来ていたのですが、内容が過激なために、結局UPを見合わせていたのです。今年はもう少し頻繁に更新できるように頑張ります。
さて、今年最初の話題は「拮抗作用」にしました。私が拮抗作用という言葉を最初に聞いたのは高校の生物の授業で、アドレナリンとインシュリンの説明のときだったと思います。互いに逆の作用をもたらす二つの酵素の分泌で、微妙なバランスを実現するという機構に興味を覚えました。拮抗作用は生理学の言葉のようですが、敵味方が同じような力量であるときには両者が拮抗しているなどと使うこともあります。
地球の地磁気は核内で磁性体が回転することで生じていると言われています。この地磁気は過去に何回か逆転しているのですが、そのためには磁性体の回転が一度止まって、逆方向に回り始めなければいけません。しかし、そんなことは不自然だと思えます。そこで、磁性体が逆方向の回転をする複数の層に分かれていてその強弱の総合バランスによって地磁気が決定すると考えれば、地磁気が逆転することもそれ程不自然ではなくなります。
このように逆の作用を持つ要素を組み合わせる仕組みは結構有用で、例えば、最も快適な空調システムでは、暖かい空気と冷たい空気を別々に作り、ちょうど良く調合して供給するようになっています。ついでに水蒸気も加えたりしますが・・・
最近健康食品がはやっています。しかし、これを食べていれば健康になれるというような簡単なことではないと思います。色々な効果のあるものを摂取することによって初めてバランスの取れた状態が実現するのではないでしょうか。コラーゲンは善玉で、活性酸素は常に悪玉であると言うような単純な分類は避けるべきでしょう。
逆の作用を持つ複数の要素をうまく利用して安定を作り出す仕組みを色々と考えてみたいと思っています。そういえば今流行のポートフォリオも似ている、いや、そっくりなような気がしませんか?

高校野球                                        (2006.8.28)

今年の高校野球、すばらしい決勝戦でしたね。ところで、高校野球はトーナメント形式で行われます。このトーナメントの作り方は順列組み合わせの応用問題として用いられることがあります。 最も簡単な問題は「nティームが参加するトーナメントの試合数はいくつになるか」です。この問題はすごく簡単に解くことができて、単に、一試合ごとに一ティームが敗退すると考えればよいわけで、答えはn-1試合です。 これを数式で解こうとすると、単純な場合は良いのですが、シードとかあると厄介なことになってしまいます。まあ、挑戦してみてください。
高校野球ではトーナメントを勝ち進む高校には、その度に栄誉を称えられて校歌が流されます。優勝校は6回も称えてもらえます。また、参加した半数の高校は一回戦敗退なのでその校歌を聞くことができません。 少し気の毒ですね。そこで、これからは負けた高校の健闘を称えて校歌を演奏するというのは如何でしょうか。そうすれば、参加全校を賞賛することができます。でも、このままでは優勝校の校歌は聞けません。 それは表彰式に流せば良いでしょう。こちらの方が、何となく高校野球らしい清清しさがあるような気がします。誰か高野連に伝えてください。

観測史上最大                                        (2006.8.2)

またまた更新が遅れてしまってすみません。暑中お見舞い申し上げます。
今年の梅雨は大雨で、様々な被害が出ました。地球温暖化のせいだという人がたくさんいますが、本当にそうでしょうか。 観測史上最大の×××という表現が良く使われていましたが、いつから記録しているのかが分からないと意味は無いですよね。 まあ、気象観測は古い観測点でも100年ちょっとだったと思います。100年で最大の事象なんて、事象には色々なものがあるのですから、それ程珍しいとは感じられません。 統計的にグラフを示すなり、発生確率を推定するなり、もう少しはっきりした表現が欲しかったように思います。気象予報士さん、お願いします。
今回は大雨に誘発された土石流のニュースを良く見ました。しかし、扇状地というのは本来長い時間をかけて土石流が造ったものなのです。 ですから土石流は想定内です。扇状地に住むということは土石流のリスクを取ることではないでしょうか。 同じように河川敷や低地に住むなら洪水のリスクを、海岸に住むなら津波のリスクを、日本に住むなら地震のリスクを取らなければいけません。
災害が発生すると、行政の怠慢だとか、地球温暖化のせいだとなどとばかり言っていては始まりません。 先ずは、そのような被害が発生し得るということを学ばなければいけないでしょう。その上で、被害を減らす工夫を考えることがリスクマネジメントなのです。
ところで最近は鰯の不漁が続いています。庶民の食材が高騰して大変だということです。これも地球温暖化のせいだという人はあまりいないのでほっとしています。 鰯の生存数が60年周期で変化することが江戸時代から知られていたとのことですから、あらかじめ分かっていた鰯の不漁はリスクではありません。 しかし知識不足が損失の原因となることもあるので、60年周期を知らなかった人にはリスクであるとも言えます。
リスクマネジメントでは様々な損失の発生を考えることが基本です。ですから、色々なことを知っていることが大切です。 科学の進歩はリスクの低減に繋がります。毎日の事故や災害のニュースから学ぶこともたくさん有ります。 マスメディアも責任追及ばかりに走らないで、可能性を伝えるという視点を持って欲しいですね。
確率の基本は先ず壷(母集団)を設定することです。色々な壷を設定することが可能ですが、壷の中身については重大な特徴があります。 それは事前に一つ一つを区別できないということです。そして、その壷の特徴は確率として表現されます。

今日の占い                                          (2006.3.24)

確率の基本は先ず壷(母集団)を設定することです。色々な壷を設定することが可能ですが、壷の中身については重大な特徴があります。 それは事前に一つ一つを区別できないということです。そして、その壷の特徴は確率として表現されます。
母集団は英語でpopulationですから、例として人間の体重を考えてみることにしましょう。先ず、すべての人間を入れた壷を考えることができます。 それから男性だけを入れた壷を考えることもできます。また、日本人の男性を入れた壷も考えられます。さらに成人の日本人男性の壷もあるでしょう。 各壷に属する人の体重の確率分布は異なりますから、これらはすべて異なる母集団です。
さて、邪悪な宇宙人が人間を拉致しようと考えて宇宙船を準備するために、地球人の体重を推定することが必要になりました。 そこで彼らは、なんと、上記の壷の体重の確率分布のデータを他の宇宙人から手に入れました。しかし彼らには、男性と女性の区別ができません。 また、日本人の特徴も知りません。そんな状態では、参照できる壷はすべての人間を入れたものだけなのです。大枚をはたいて手に入れた詳細な情報の多くは無駄になってしまいました。 確率情報を利用する時には、対象とするものが、どんな壷(母集団)に属しているかを見極めることはきわめて大切なのです。
現在の工学では、詳細にことを見定めようという風潮が主流のように感じますが、実際に情報を利用する場合、必要なデータが十分には手に入らないことがよくあります。 こんなときには詳細な情報を参照することが適切とは限りません。ばらつきを考慮して確率論的な方法を利用することも大切です。
ところで、最近朝のテレビのニュースショーで血液型占いとか、星座占いというのを良く見かけます。 A型の壷とAB型の壷の運命の統計的性格が異なるのかどうか確かめられているとは思われません。だから信じる必要は全く無くて、ただの遊びに過ぎないということを皆さんはご存知でしょう。 しかし、幼いときから毎日こんな番組を見て育つ子供は、B型の壷やO型の壷が実在していると思うのではないでしょうか。 これは、重大な問題です。私はこれを洗脳であると思います。すぐにやめて欲しい。(他にも色々ありますが)

明けましておめでとうございます                             (2006.1.6)

さて、新年早々の話題は、母集団(Population)です。確率や統計では聞きなれない言葉が多く出てきますが、母集団という言葉は比較的良く知られていると思います。 ところが、その意味となるとあまり理解されていないようです。母集団は確率を理解し、利用するうえで最も大事な事柄です。 では、「母集団とは何か」と聞かれてもうまく答えられないのが実情です。 私は確率モデルを作成する際に分からなくなると、前回お話した壷のイメージを思い起こします。壷こそが母集団なのです。
「壷の中には玉が入っていて、その中の赤玉の比率が確率である」というのが最も単純でなおかつ端的な確率の説明であると考えています。 ですから、確率を考えるときは、先ず壷を明確にしなくてはいけません。違う壷なら確率も違います。逆に言えば確率とは壷の性格を示すものなのです。 蓋然の壷は性格がはっきりしている壷です。偶然の壷は性格が曖昧な壷と言うわけです。
天気予報では降水確率というものが出てきます。簡単に言えば雨が降る確率ですが、これだけでは壷を明確にしたことにはなりません。 今晴れているとして、考える期間が今後1年間ならその確率は0.999999999でしょうし、今後1分なら0.00000001くらいでしょう。 降水確率の定義は「対象とする地域で特定の6時間に1mm以上の降水が観測される確率」だそうです。ここまでくれば壷ははっきりとしたものになります。 確率は壷に対して記述されるものです。ですから違う壷の性格を他の壷に当てはめてはいけないのです。札幌の住人は東京の降水確率を参考にはしませんよね。
ところで、降水確率が10%ということはどういうことかというと、「壷の中に十個に一個雨玉が入っている状況」です。そのくらいの危険度で雨が降るということです。 それが小さいと感じるか大きいと感じるかは人によっても状況によっても変わります。単に確率だけからは、どうすればよいのかという答えは出ないのです。 確率情報を上手に使うことが大切だと考えています。

本年も宜しくお願いいたします。

エルスバーグの壷                                    (2005.12.1)

エルスバーグの壷という、ある分野では有名な問題があります。この問題は十数年前、友人から教えてもらったのですが、ことのほか気に入っています。
「壷Aと壷Bがある。壷Aには赤玉と白玉が同数入っている。壷Bには何が入っているか分からない。赤玉を取ることを求められている貴方は、壷Aから取るか、 壷Bから取るか、どちらにしますか」という問題です。さて、どちらにしますか?
この問題には正解があるわけではありません。実際これは好みの問題(選好問題)であるといわれています。しかし、いろいろと想像力を刺激する問題だとは思いませんか。 壷Aは半々なのでつまらないから壷Bの方が良いという人もいますし、壷Aなら可能性が分かっているのでそっちの方が良いという人もいます。 また、赤玉を取ったらどんな良いことがあるかによって壷の選び方が違うということもあるでしょう。とにかくこの問題には正解はありません。
さて、前回までの分からなさの分類を使うと、壷Aは蓋然の壷、壷Bは偶然の壷であると考えることができます。壷Aでは、0.5の確率で赤玉を取ることができます。 一方壷Bでは赤玉の出る可能性は全く分かりません。分からなさのレベルは壷Bの方が格段に高いわけです。この問題について考えてみると、 壷Aに対してはどうすることもできないが、分からなさのレベルの高い壷Bについては、よく調べれば赤玉の出る可能性が分かるのではないかという思いが残ります。
よく調べるためにはデータが必要です。ある人が壷Bを選んで赤玉を取ったというデータがあれば、赤玉の出る確率は高そうだということになりますし、 そういったデータが10個あって、そのうち5回赤球が取れていれば、可能性は5割ぐらいだということが分かるわけです。 ですから分からなさのレベルの高い問題についてはデータを集めることが必要なのです。データは多ければ多いほど良いのですが、少ないデータからもそれなりに情報を得ることができます。 データを正しく使って壷Bの可能性を推定することも私たちの仕事です。私は、世の中の多くの事柄は、壷Bから赤玉を取り出すようなものだと思っています。ですからデータを大切にしたいですね。
自分の家は地震で壊れないかと心配している人は多いでしょう。「データが無いからその可能性が分からない」というのは必ずしも正しくありません。 その家に住みだしてから一度も壊れていないというのもデータなのです。といってもこの程度のデータから導き出される可能性は十分に高いものになってしまいますけどね。

では、良いお年を!

「分からなさの分類―その5」                       (2005.10.3)

いよいよ分からなさの分類の最終回です.今回は「偶然の空間」です.この空間は「無知の空間」と「蓋然の空間」の間に存在しています. 簡単に言えば,この空間に属する事象については起きる可能性は認識しているものの,その結果や可能性がはっきりとは分からない状況です. 実際,世の中にあることはほとんどこの「偶然の空間」に属しています.さいころみたいに簡単じゃないというわけでしょう.
例えば,縁起でもない話ですが,あなたが今後一年間に交通事故で死ぬという可能性は否定できません. しかし,その可能性はどのくらいかということになるとはっきりとは分かりません. 最近の日本では年間8000人くらいが交通事故で亡くなるようですから,国民全員が同じ可能性を持つとしたら8000÷127000000=6.3/100000という確率になります. しかし,交通事故の可能性は,その人の生活環境や行動様式,年齢や性格によって変化するでしょうから,この確率は100倍かもしれないし,1/100かも知れません. そう簡単に可能性は分からないのです.
「偶然の空間」に属する事象はそれが起きるかどうか,その可能性までも明らかではないというわけです. 「蓋然の空間」に属す事象より分からなさのレベルは高くなっています.だからといってその可能性について全く見当もつかないというわけでもない場合も少なくありません.
信頼性の方法では,この「偶然の空間」に属する事象についても確率を用いた可能性の評価を利用します. 但し,この確率は必ずしも正しいとは限らないという意識を持つ必要があります.ここでは,先ず確率のモデルを作成します. 例えば交通事故死の可能性が,全ての国民に同じであるというのも一つのモデルです.モデルが不適切だと評価された確率も怪しいものになってしまいます. ですから,「偶然の空間」に属する事象については,それをどう理解し,どのような確率モデルに当てはめるかという点が重要になります. そこに難しさが存在するわけで,信頼性手法があまり一般化しない原因ともなっていると思います.
「偶然の空間」に属する事象をどう扱うかという問題には正解は無いでしょう.しかし,良くわからないからといって,無視したり過大評価したりというのは感心できません. できる限り合理的と思えるモデルを作成して,データを有効利用したアプローチが望ましいと考えます.
最後に,「偶然の空間」に属する事象の可能性を確率評価する場合,その確率にも不確定性が存在するという,分かりにくい特性があることを覚えて置いてください. 私はそれをモデル化不確定性とう名前で呼んでいます. 分からなさの分類はこれでひとまず終了です.全く訳の分からない話だったかも知れません.申し訳ありません. 次回はエルスバーグの壷というある分野では有名な話を紹介して,モデル化不確定性を説明します.

「分からなさの分類―その4」                       (2005.8.5)

またしても時間がたってしまいましたが.久々にコラム更新です.

分からなさの分類 その4は「蓋然の空間」です.
蓋然という言葉は耳慣れないでしょうが,蓋然とは「なるべくしてそうなる」ということです. これでは必然と同じではと思われがちですが,必然の場合はなるべきものがひとつしかありません.しかし,蓋然の場合は,なるべき姿が幾つもあります.
さいころを振って1の目が出ることは不思議でも何でもありません.かといって1でなくても,2でも3でも4,5,6でもよいわけです.これが蓋然です. さいころの出目については実際どの目が出るか分かりません.しかし,1から6のうちのどれか一つが,それぞれ1/6の確率で出現します.蓋然の空間では確率が最も詳細で本質的な情報となっています. いくら綿密に確かめようが,この空間に属する事象には確率より詳しい情報は存在しません.従ってこの空間では絶対ということがないのですが,その一方,突拍子の無いことが生じることもありません. そういう意味で,分からなさのレベルは高くは無いと言えます.蓋然の空間で起きることは全て,今流行の「想定の範囲内」という訳です.
蓋然の空間に属する事象としては,先ほどから例に使っているさいころやコイン投げが有名です.原子物理学で言う不確定性原理なども蓋然事象です. 身近なところにある蓋然事象となると,なかなか良い例が見つかりませんが,福引や宝くじなどを挙げることができます.もちろん天気予報の降水情報も身近な確率ですね.
蓋然の空間における本質的な情報は確率なのですが,確率に関しては様々な研究が進んでいます.基本的な確率が分かれば,その組合せによって,色々な状態の確率を計算することができます. この特質がリスク評価を行う上で大変役に立つのです.信頼性工学も確率論に立脚した学問分野です.確率はMEDの中心的テーマですので,今後何度も話題に乗せる予定ですので,ここではあまりふれないことにしましょう. 要約すれば,蓋然の空間とは,起きる可能性のあることがすべて分かっていて,なおかつその可能性の大きさが確率で示される空間です. ところで,必然の空間も実は特別な蓋然の空間ということができます.但し,このとき確率は必ず1.0でなければなりません.
次回は「偶然の空間」です.これは今回の「蓋然の空間」と「無知の空間」の間に存在します.さて,どんな空間なのでしょうか.

ちょっと休憩して、Web TVの話です。                    (2005.6.7)

今回はわからなさの話しからちょっと話題を変えて見ました。
2ヶ月ほど前はライブドアとフジ産経グループの話題で盛り上がりましたが、勝敗とか損得はさておき、インターネットと既存メディア、特にテレビが融合すれば本当に面白い状況になると思っています。
 現在、私たちは、先ずテレビの番組表を見て、いつ何を観るかを考えます。時間が合わなくて観られそうもない番組は、録画したりします。最近では録画機器の性能も向上して、操作性も良く、とても便利になりました。と言いながら、いつか観ようと録ったビデオが山積みになっています。
 さて、インターネットを使うとどうなるかを予想してみましょう。先ず、番組表には時間はいりません。好きな時に好きな番組を選んで、ストリーミングなり、ダウンロードなりをして鑑賞すればよいのです。最新ニュースは常に最新、同じニュースを繰り返し見せられることはありません。連続ドラマは最初からまとめて続けて観ることが出来るでしょう。実況中継は当然リアルタイム。特定の出来事について時間を追った状況変化などを調べてみるのも面白そうです。
 こうなってくると、見る側は時間の束縛も無くてとても便利、いわゆるユビキタスですね。番組内容については本当の競争になるでしょう、ニュース解説者も発言の一貫性を問われるようになる。良いことばかりなのです。
 このような便利な状況が成立するために必要なものは何でしょうか。先ずはインターネット環境です。PCは数万円程度のもので十分でしょう。接続は光ファイバー、FTTH ( Fiber To The Home ) 構想の実現も近そうです。あとはプロバイダーが高性能なサーバーと数多くの良質なコンテンツ、洗練された検索システムを持てば一応準備完了でしょう。そんなに難しいことでは有りません。
 問題としては、テレビ会社がどうやって製作費を稼ぐか、という根本的なものが残っています。これまでのテレビはCMの枠を販売していたわけですが、その仕組みはなじまないような気がします。Web TVはひょっとしたら、番組制作の根本的姿勢を問うことになるかも知れません。その答えが本当に楽しみです。
 まあ、良質なCFはそれ自体がりっぱなコンテンツになると思いますけどね。
窮すれば通ず ですかね 期待してます。

「分からなさの分類―その3」                       (2005.4.8)

コラム更新の遅れは全く情けないことです.反省しています.このところプライベートな事件が続き,仕事もままならない状態でした.やっと収束に向かいだしましたので,これからは何とかしたいと思っています.

さて,前回は無知の空間についてお話しましたが,今回は必然の空間についてです.
必然の空間では何が起きるか事前に分かっています.例えば,明日の日の出の時刻とか,水素と酸素を2対1の割合で混ぜて火をつけると爆発することなどです.学校の物理や化学で習ったことは必然の空間の要素ばかりだったと思います.天文学に端を発した近代科学は必然の空間を大きく広げたと思います.

必然の空間には正解があります.私たちの受験勉強で求められた世界であったと感じています.しかし,明日の日の出の時刻は本当に正解でしょうか?スマトラ沖地震のために,地球の自転速度が遅れたそうです.ですから,昨年の12月27日の日の出時刻は厳密にはあたらなかったはずです.まあ,そこまで厳密さを要求しなくてもよいかもしれませんが,実際の生活において,必然といえることはさほど多くも無いような気がします.

必然の空間に属する要素は主に確実な知識,原則論で占められています.これらは大変重要なことです.しかし,現実生活ではその確実な知識や原則が完全に当てはまる場面は必ずしも多くはありません.例えば酸素や水素の量を正しく計測できているかなどといった不完全さも影響するわけです.そんなわけで,必然の空間に属するものがたくさんあるのだろうか,と,私は感じているのです.特に予測という立場に立ったときに.

前回の無知の空間と今回の必然の空間の間に,偶然の空間と,蓋然の空間があるわけですが,皆様には,私のイメージが伝わっているのでしょうか.とても不安に思っています.ともあれ,次回は蓋然の空間について書かせていただく予定です.それもなるべく早く・・・

「分からなさの分類―その2」                       (2005.1.5)

あけましておめでとうございます.本年もよろしくお願いいたします.

早速本題ですが,先ずは無知の空間から.
無知の空間と言うのは,想像すらできない程分からない部分ですから,それを説明することは本来不可能です.無知の空間に属するものを説明することはできないのです.しかし,人間の歴史を顧みれば,かつては無知の空間に属していたものが,今ではそうでなくなったことがたくさんあります.また,自分自身の成長を考えてみても,幼いころは想像すらできなかったことについて,経験や知識を通じて認識できるようになってきたことが分かります.
例えばオーロラという現象があります.私たちは皆知っていますが,原始時代赤道周辺に住んでいた遠い先祖たちには想像すらできなかったでしょう.幼い子供も本で読んだりテレビで見るまでは全く知らないわけです.そういう人たちにとっては,オーロラは無知の空間の要素であったわけです.
地球に宇宙人が居るか居ないかという問題は,私たちはこの問題について考えることができるのですから,無知の空間に属するものでは有りません.無知であるということはそれが正しいか間違っているかということとは関係ありません.
人類の文化の進歩に伴って,無知の空間にあったものがそうでなくなった部分は非常に大きいと思います.しかし,だからといって無知の空間が小さくなったかと言うと,それは正しくないでしょう.なにしろ想像するできない訳ですから,その大きさは絶対に分かりません.
無知の空間に属する事象に関する論議は,実際は無意味です.ここではただ,そういう空間が存在するということを意識しておこうと提案しているだけです.無知ではない空間が全体であると考えるのは正しくはありません.
無知ではない空間は個人個人によって異なります.色々なことを知っている知識豊富な人や,想像力が豊かな人は,無知ではない空間が大きいでしょう.従って,無知の空間も人によって異なっています.
無知ではない空間が異なっている人たちがたくさん集まれば,全体として無知ではない空間が大きくなります.多分,「三人寄れば文殊の知恵」ということなのでしょう.「船頭多くして・・・」というのも有りますけどね.

では,また

「分からなさの分類―その1」                      (2004.11.29)

更新が遅れに遅れて5ヶ月もたってしまいました.申し訳ありません.さて,今回からは分からなさの分類についてです.

世の中には分からないことがたくさんあります.とは言っても,全く分からないことや,何となく分かること,比較的よく分かっていることなど,分からなさにも程度の差があるわけです.できれば分からなさを表現してみたいと思うのは自然なことでしょう.私の仕事では分からなさを確率によって表現することを基本としています.昔から「十中八九」とか「万が一」などと言った表現もあるわけで,分からなさを確率で示すことはさほど不自然では無いと思います.でも,確率でどこまで分からなさが表現できるでしょうか?

分からなさの空間(全体)は全く分かっていないことがあるとすれば,その外側の境界は見つけられないので,まるで宇宙のように無限に広がっています.その中で,少しでも意識している(可能性に気づいている)ことがあるわけで,そこから内側が分からなさを分類できる部分です.その外側は無知(ignorance)の空間です.無知の部分は意識できていないわけですからどうすることもできません.

さて,無知ではない部分をどう分類するかというと,「先ず偶然の空間,その内側に聴きなれない言葉でしょうが蓋然の空間,そして最後に必然の空間というのがある」というのが,私の分類法です.必然の空間では,何もかも分かっています.実際に何もかも分かっていることなど本当に有るのだろうかという気もしますが,それはおいて置いて,次の蓋然の空間では,サイコロのように物事が起きる確率が分かっているものと考えます.ここでは,1が出るのは1/6とか偶数になるのは1/2などと確率で物事が表現できるわけです.その外側の偶然の空間は蓋然の空間より分からなさが大きく,確率がはっきりとは分かっていない場合に対応するものと考えています.

いったい何のことだと思われる方も多いでしょうが,これから少しづつ詳しくお話してみたいと思います.次回をお楽しみに.

「正解の無い問題を解く」                        (2004.06.01)

というと奇異に聞こえるかも知れません。しかし、リスクマネジメントにはそれが必要です。
簡単な例題を一つ。

「大事な人と待ち合わせをすることになりました。何分前に家を出れば良いでしょう。」

待ち合わせ場所までかかる時間はだいたい予想できますが、交通機関は遅れることがあるし、事故に遭遇する可能性もない訳ではない。かかる時間を完全に知ることは出来ません。そこで、有る程度余裕を見て出かけるのが普通です。早めに出発すれば相手を待たせることはないでしょう。かといって、あまり早く着いてしまって長い間待つのも嬉しく有りません。
さてどうするか・・・。この問題には決まった答えは無いと思います。相手にも依るし、待ち合わせ場所にも依存します。また、天候や気候、そして貴方の性格や価値観よって違った答えになる筈です。
全く難しい問題だと思うのですが、このような正解の無い問題を、私たちは日常的に無意識に解いています。

リスクマネジメントの問題は、本質的にこの問題と同じです。但し、その決定のプロセスを明快に示すことが求められている点が異なっているのでしょう。

ご無沙汰しておりました                         (2004.04.06)

仕事が忙しくて暇がない、と自分に言い訳しながらほったらかしにしていたら、早くも四月になってしまいました。 ホームページを立ち上げるに当たって、頻繁に更新するのは大変だなあと思っていましたが、これじゃいけませんよね。
さて、今回は何について書きましょうか?では、簡単なリスクマネジメントについて。

ずーと昔から私は飛行機に乗ると、必ずシートベルトをしています。当時はなんて臆病なやつだと思われていたようで、現に私の妻も、数年前Unitedがエアーポケットに嵌って何人かが怪我した事件をニュースで聞くまで、そのように思っていたようです。
これとリスクマネジメントの関係はどこにあるのかというと、「先ず、そんなふうに怪我をする可能性があることを知っていたそしてそれを避ける方法を知っていた。 さらに、その方法が簡単だったので実行した。」ということなのです。
 前にも書きましたが、リスクは避けなければいけないものではありません。墜落する可能性のある飛行機にも良く乗ります。しかし、無駄なリスクは抱えてはいけません。「簡単に避けられるリスクを極力減らすこと。それもできる限り効率的に。」これがリスクマネジメントの本質です。

 地震リスクを最も効率よく減らす方法は、家具類の固定です。簡単なことですからすぐに実行しましょう。

新年明けましておめでとうございます。 本年も宜しくお願いいたします。 (2004.01..01)

当方はホームページの更新もままならない、あわただしい毎日ですが、皆様は如何お過ごしでしょうか。
年頭早々、楽しくも無い話題でで恐縮ですが、最近のリスクブームに関連して。

エンジニアリングの世界でも、最近リスクやリスクマネジメントがキーワードのひとつに取り上げられるようになってきています。いまさら何だという思いもありますが、この世界でも、「リスクは悪いもの、避けるべきもの」という感覚が強いように感じます。古来より、「虎穴にいらずんば虎児を得ず」と言うではありませんか。人の行動にリスクはつきものです。リスクを恐れてばかりいるのは如何なものでしょうか。

交通事故は嫌なので、家から一歩も出ない、とか、地震が怖いので、テントに住んでいる、という人は見たことがありません。快適な暮らしには何らかのリスクが付随するものです。だれでもリスクとは折り合いをつけて暮らしているのが現実です。しかし、日本には「悪いことを口にすると、それが実現してしまう」という感覚があるためなのでしょうか、極端にひどい状況までを考慮に入れて検討することには、根強い反発が存在しているように感じます。

当社では、リスクを取ることを前提として、様々な可能性を検討してリスク評価を行っています。リスク評価の結果は、行為がもたらす利益と見合うものであるかを判断し、また、効率的なリスク低減方法の発見するために利用されます。
「敵を知り、己を知れば百戦危うからず」の精神を胸に、勇気を持ってリスクに立ち向かうことがリスクマネジメントではないでしょうか。

とは言え、無謀な行為は慎まなければいけません。「君子危うき近寄らず」・・・

代表写真  ホームページ開設のご挨拶 (2003.11.01)


こんにちはMEDの水谷です。MED設立以来4年経って、ついにホームページが立ち上がりました。MEDは不確定性をキーワードとして、確率統計論を活用し、クライアントの意思決定をサポートすることを目的とした会社です。などといっても意味が分からないと良く言われます。簡単に言えば、はっきりしない情報しかないのに、どう行動すべきか決めなければいけないときに、お手伝いをする会社なのです。まだ分かり難いですね。
例えば、来るか来ないか良く分からない地震に対して、どんな対策をすべきか?点検補修はどんな点検間隔で、どう補修していくのが良いか?とか、自然災害に関する保険を購入すべきか?等といった問題に対して、クライアントの立場に立った評価や検討をしています。
こんな会社がこれまで無かったのは、元々需要が少ないためでしょうから、設立当初は、この先どうなることかと思っていました。しかし、最近、リスクということばが注目を浴びるようになって、徐々にですが仕事も増えてきています。そろそろ会社の拡充を図ろうかと、事務所を拡張したり、所員を募集したり、その一環として、このホームページを作ることにした次第です。
リスク評価をする会社も増えてきて、競争の段階に入りつつあります。MEDは、そんな中で、一味違った、特徴のある会社として存続を目指します。
どうぞ宜しくお願いします。


モダンエンジニアリング&デザイン